ななつの嵐山WEB MAGAZINE

インタビュー2020.03.17

大人への階段を登って宇宙を司る菩薩の元へ

渡月橋を見下ろす嵐山の麓に建つ、虚空蔵法輪寺。

京都の人々からは“嵯峨の虚空蔵さん”と呼ばれ親しまれる同寺の創建は、和銅6(713)年。行基菩薩が元明天皇の名により、この地に建立したと伝わります。創建当時の寺号は木上山葛井寺であったとされ、現在の法輪寺の名は、その後に弘法大師空海の弟子の道昌僧正が虚空蔵菩薩を安置したことに由来します。

十三まいりと虚空蔵さん

法輪寺は、京都人にとって特別な思い入れのある寺。
同寺は、京都を中心に関西で行われている13歳になった男女のお祝いの「十三まいり」発祥の地なのです。

ただしこの十三まいりは、関西在住の人以外にはなかなか馴染みのないもの。そこで、法輪寺で住職を務める藤本高仝さんにその由来をお伺いしました。

「子供の年齢に合わせて社寺を詣でるものといえば、七五三を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、七五三の起源は江戸時代であるのに対し、十三まいりのルーツは平安時代まで遡ります。かつて日本では、13歳を迎えることで干支を一周した男女は、大人と同じ仕事を任せられる成人とみなされました。つまり十三まいりは、子供が大人へと変わるための通過儀礼なのです」

「十三まいりと虚空蔵菩薩様の関わりは、この祝いの日に虚空蔵菩薩様に詣でることで、菩薩の智恵を授けてもらうことができるという言い伝えから来ています。」と教えてくださいました。

現在でもこの風習はしっかりと受け継がれており、毎年13歳を迎えた少年少女は長い階段を登ってお寺を参拝し、祈祷を受け、自分を表す一文字を紙に書いて奉納します。

こうして文字通り大人の階段を登った少年少女は“大人”として、帰途に着くわけですが、この帰り道、渡月橋を渡り終えるまでは決して後ろを振り返ってはいけないのです。これは菩薩の聖地である法輪寺の境内から、渡月橋の先の人の住む世俗の地へ授かった智恵を運ぶため。万一振り返ってしまうと、授かった智恵を返さなくてはならないといいます。

 

「電気」を祀る不思議な鎮守社

嵐山でも屈指の古刹である法輪寺。

先述の道昌は、暴れ川であった桂川の治水に努め、渡月橋を架けた人物でもあります。同寺はまた、枕草子に描かれ、時には京都を灰燼に帰した二度の戦乱、応仁の乱や蛤御門の変などの舞台ともなりました。

法輪寺は京都の歴史を紡いできた寺院でありながら、常に嵯峨・嵐山に住む人々に寄り添いながら時を重ねています。

 

現在も十三まいりの参詣で賑わうのが何よりの証左ですが、それ以外にも境内のあちこちで法輪寺の地域とともに歩む姿勢を垣間見ることができます。

例えば、境内にある「電電宮」。これは昭和31年、相次ぐ電気需要を背景に電気電波関係者が業界の成長を祈願して建てた鎮守社。1300年の歴史を持つ寺院と、電気の神を祀る社はミスマッチのようにも感じます。しかし、藤本さん曰くこの鎮守社も日本古来の信仰から考えると全く不思議なものではないのだそう。

「電気は稲妻による自然現象ですから、森羅万象に神が宿ると考え、八百万の神々を祀る日本の信仰においては、何も不思議なことはありません。むしろ、急速な発展の中でも、神仏に祈り心豊かに暮らそうとする、なんとも日本らしい思いの表れだと私は思います」

 

他にも法輪寺は、嵐山で行われる花灯路に併せ、建物と嵐山にプロジェクタで鮮やかな映像を投影するDK(デジタルカケジク)。宇宙を司る虚空蔵菩薩様にちなんだ天体愛好家によるイベント“宙フェス”。 時には境内での早朝ヨガまで、懐深く人々の想いを受け入れ続けているのです。

 

1300年の時を超えて、今もなお嵐山を見守る古刹

境内右手にある、「舞台」と呼ばれる見晴らし台からは、渡月橋や大覚寺の多宝塔、嵐山の街並みはもちろん、愛宕山から吉田兼好が過ごした双ヶ丘、比叡山・東山に伏見稲荷と京都を囲む山々の絶景が広がります。

渡月橋をはじめ嵯峨・嵐山、そして京都の景観を作り、見守り続けてきた法輪寺。

きっとこれから続く未来にも、同寺は常に嵯峨嵐山の人々に寄り添いながら、この風景を見つめ続けていくことでしょう。

皆さんも参詣された際は、本堂と併せて舞台からの絶景と、多彩に開催されるイベントへの参加を楽しみながら、歴史とともに地域に愛され今に生きる信仰の姿を感じてみてはいかがでしょうか。

 

(取材協力:虚空蔵法輪寺